TNCテレビ西日本番組モニター

            【平成14年度 (2002.3〜2003.2)
            
 平成14年度(2002.3〜2003.2)のTNCテレビ西日本の番組モニターを拝命しました。だいたい
番組モニターになるためには、同局の番組の感想を400字程度で書いて送ると、その中から
選ばれて、と思っていたらそうでもないんですよね、これが。モニターというのは、結局サンプル
を公平に散らしておきたいわけですから、地域・年齢・性別・職業などをまんべんなく分けた上
での感想文の選考らしいです。過去7年ぐらい、TNCには挑戦してきましたが、まー、私の文才
がなかったのではなく、単にサンプル上の運がなかったのだと、都合のいい解釈をしています。

 現在も平成14年度の「国政モニター」、「消費者モニター」「環境モニター」に応募していますが、
国の関係のモニターはなかなか競争率が高くてなれません。それに反して、地方公共団体、
県や市はなり手が少ないのでしょうね。わりと当選する確立が高いです。

 でも、やはりモニターをやるなら民間企業(放送局)ですね。報酬も高いし、それ以外でもいろ
いろとグッズをもらえたりします(しかし、報酬が高い分番組の感想を素早く書くことはけっこう
大変です)。最終的にこれが目的だったりして・・・
                                               (2002. 2.12 記)

 3月からのモニター開始に備えて、『説明会を2/25にTNC放送で行います』という、案内状が
届いていた。朝9:40に集合という。百道のTNCに9:40というのはけっこうきつい。我が家を朝8時前
に出なければならないなー、などと数日前から考えていた。その数日前というのが、私がボラン
ティアで関わっている「カルキャッチくるめ」が主催する「草の根文化フェスタ2002」が丸々一週間
入っていた。慣れない立ち仕事が続いて、風邪を引いたのか、体が熱っぽかった。医者に通って
注射を打ってもらいながら、とにかく最終日の24日まで勤め上げて帰ってきたところに、それまで
の疲れがどっと出たのか、冷蔵庫の取っ手を握ったところにビビッときた。もう何度も経験している
からわかった。腰に走った電気のような痛み。あー、もうだめだ。それでもその夜は何とか動くこと
ができた。

 しかし、翌日目覚めたら、体を動かすこともできない。起き上がることも。これじゃーどう考えても
ラッシュの電車に乗って、バスか地下鉄に乗り換えてももち浜まで行くなんて死にに行くようなもの
だ。今日行かなかったらモニターの資格を剥奪なんてことはないだろう。あきらめて、TNCに電話
した。出ない。マスコミって夜が遅いから、朝も遅いのだろう。9時半になってようやく、連絡が取れ
た。「こちらから書類は送りますのでお大事に」ということだった。

 その書類が昨日送ってきた。中身を見たら、内容はほとんどFBSと同じだった。番組の数も内容も
報酬も・・・。やはり、この辺は地場民放で統一しているのでしょうね。でも、数年前のFBSの時と
変わっていたのは、モニター報告は郵送が原則だけど、メールでも可能ということだった。だんだん
ITが進んできますね。さあ、14年度のモニターも始動開始。
                                                 (2002. 2.28 記)

 3月に入り、いよいよモニター開始です。最初のモニター番組は3/10、16:05からの「木梨憲武の世
界のサッカーがやってきます。私たちの心構え」という長ったらしいタイトル。しかも私のあまり得意
でないサッカー番組。その日は、前日の姪の結婚式で東京に行くために、10日の夕方しか帰宅でき
ないことがわかっていた。それで、ビデオにセットして出かけた。

 10年ぶりの東京だった。ただ、16人の大所帯での行動だったために、ホテル以外はどこにも行け
ず、靴も私の足に合ってなくて、とにかく疲れた旅だった。帰宅したら、やることはいっぱいたまって
いて、しかもきつくて、10日はメールチェックだけやって寝た。翌日は、原稿の締め切り分が2本
あったので、それを仕上げた。でも、それから1時間以上のサッカー番組を見る気も起きなくて、
結局、ビデオを見られなかった。モニター報告は原則郵送なのだが、メールでもよいとのこと。ただ、
メールの本文に載せるのか、ワードなどで書式を作って添付するのかがわからない。とりあえず、
書式だけは作った。明日は絶対見なければ・・・。モニターも前途多難だ。
                                                  (2002. 3.11 記)

 過去、FBS福岡放送とNHKの番組モニターをやってきたが、ノルマである番組を見過ごしたことは
今まで一度もなかった。とくにNHKなどは、月に8本もの番組だったから、そりゃあ大変だった。だけ
どスケジュールが埋まっているほど、人間って忘れないもので、逆に一週間も十日も間が空くと、忘
れてしまうものなのかもしれない。

 TNCの番組モニターも今年の3月から始まり、4ヶ月が終わろうとしている。そんな気の緩みからか
とうとうやってしまった。6月11日(日)19:00からの「アングリー・セブン」という番組。もちろん、カレン
ダーにも記入していたし、午前中は覚えていた。その時、ビデオをセットしていればよかったものを
「後でやろう」などと考えた私がバカだった。夕食の用意やら、子供たちと食事(夫はまだ帰ってきて
いない)をしたりして、ふと時計を見たら午後8時を過ぎていた。「ギャー」と大声を出して叫んでみた
ものの後の祭。終わってしまった番組はもう二度と映らないのである。

 「どうしよう、どうしよう」と思いつつ、急いでTNCの番組モニター係へメールを送る。「これこれしか
じか」で、と。翌日になっても返事がこない。心配になって、その翌日電話をしてみた。そして、心配
して損した、と思った。こういうことはけっこうあるらしい。相手もいちいちこういう連絡に対応してい
る暇はないのである。「あのー、どうしたらいいのでしょう?」という私の問いに「(もうどうにもならん
でしょう、と言いたげだったが)ああ、別にいいですよ。こちらで承っておきますから」と、つれない返
事。まー、私にすれば今月の報酬が削られなければそれでOK、という感じなのだが・・・

 とにかく、私らしくない失敗をしてしまった。こんなときは、素直に即謝る。これが大事だ。それで信
頼関係を築いていくこと、それも今までのモニター生活で学んできたことだ。これからは、こんな失敗
は絶対しないぞ、と心を入れ替えた『モニター番組、ど忘れ事件』だった。
                                                  (2002. 6.25 記)

 今年の2月にTNC本社で番組モニターの説明会があったのだが、ぎっくり腰でいけなくなり、その
折、「なにか機会がありましたら、そちらへ行けるようにしてください」と頼んでいた。もちろん、それ
が功を奏したわけでもなかろうが、8月の末にTNC編成部から電話があって、9月28日に放送される
「109TV(トークテレビ)」の収録に来て欲しいとのこと。「トークテレビ?なに、それ」という感じである。
数日して、そのトークテレビとやらのビデオが送ってきた。毎月最終土曜日の早朝5時半から放送さ
れている15分番組のようである。知らないはずだ。ところが、そのビデオを見ていたら、何と、知って
いる人が出てきたからびっくり。カルキャッチで一緒にボランティア活動をしている方で、その方は
TNCの社外論説委員(?)のようなことをやっておられて、月に一度会議があり、その様子もトーク
テレビの中で流れているそうである。

 娘の麻子が心配していたテレビ映りのことだが、座って下半身はテレビには映らないようなのであ
る。上半身だけきちんとしていけば、なんとかやり過ごせそうだし、私の下半身デブもさらさないで済
みそうである。これもよかった。担当のアナウンサーは「ももち浜ストア」の永谷裕香ちゃん。そして、
TNCのディレクターさん、それに私の3人で意見を述べるということらしい。課題番組は9/1付放送の
「トンカ・ジョン」〜新世紀人〜である。あの番組はモニターの担当番組でもあったのでしっかり見て
いる。それにたくさん言おうと思っても、モニターの方には3回ぐらいしか回っこないようだし・・・

 何より、当日の出演料1万円というのがうれしい。TNCまでの交通費は、せいぜい2,000円程度だ
から、残りはまるまる私のお小遣い(ふっ・ふっ・ふー)。収録は前日の9/27の2時からなので、朝か
ら出かけて、久しぶりの福岡をエンジョイしてこなくっちゃ。また、この感想は後日。
                                                  (2002. 9.17 記)

 やってきました収録日。朝からTNCの尾登さん(これで「おとう」さんと読むのだそうだ。今気が付い
たが、続けて読むと「おとうさん」なんですね)から電話があり、「今から出ま〜す」と言って、午前10時
半頃家を出る。ちょっとワケありで、明善高校によって、いつものところに車を停めて、久留米から
電車に乗る。

 まず、西日本新聞会館の14Fにある「P&C」のOさんを訪ね、写真を渡す。彼女と今後の予定等を
話し、9月いっぱい市役所前広場であっている「アジアフェスタ」で食事をしようと思って行ったのだが
残念ながらオープンの時間が午後2時からということで、あきらめざるを得なかった。それから、福岡
タワー行きのバスに乗って、終点のTNC放送会館で降りる。まず、1Fのグッズ売り場でストラップや
クリアファイル(しっかりミーハーしている私)を買う。

 映画館の「パヴェリア」にはたま〜に来たことがあるけれど、TNCの本社受付と言われても、どこか
わからない。職員さんらしい人に聞いたら6Fという。受付を済ませて待つと、ほどなくして尾登さんが
来られた。若干の話しをして、いざ、収録スタジオへ。

 報道やスポーツの局などがごちゃごちゃと入り交じっているらしく、パソコンやモニターテレビーが
所狭しと並んでいる。その奥まったところにスタジオはあった。「ももち浜ストア」は別のもっと広いと
ころでやっているらしく、このスタジオは収録専用らしい(かな?)。そこに、「ももち浜・・・」の永谷裕香
アナがいた。さすが、毎日テレビに出ているTNCの看板アナだ。とにかく肌がきれいだ。美人という
よりは、かわいくて親しみやすい、と言う感じ。さっそく、読み合わせ。昨年までやっていたドリームス
FMの「カルキャッチウィークリー」を思い出した。あれも15分番組だった。途中で読み間違えたり詰ま
ったりして、録り直ししたこともあった。

 ところが今回、それがこんな形で再現されようとは。永谷アナは年配の人が書いたカンペをプロン
プターとよばれるモニターで見ながらアナウンスをする。しかし、プロのアナウンサーでも読み間違え
たり、つまったりするものだ。それから、担当のディレクターさんも、思っていることがその瞬間、口か
ら出ず、そこで止まってしまったりと、3回も途中で止まり、結局4回目で成功。業界用語で「テイク4」
と言うのだろうか。私は、自分のしゃべるところはもちろん少なかったが、一度も間違えずに(と言う
よりも、原稿そのものがないのだから、自分の思うように言えばいいからラクだった)収録を終え、そ
こにおられた、スタッフや永谷アナにさかんに恐縮されてしまった。

 私も若い頃は、アナウンサーになりたいと思っていた。もちろん、顔やスタイルで、無理だと、すぐ
あきらめたが、今日の永谷アナの様子を見ていて、テレビで見るすらすらとさわやかだけではない、
何度も取り直して、番組を作り上げなければならない、この仕事、絶対ストレスがたまりそうである。
やはり、私は映像の世界より、活字の世界の方が向いてそうである。

 だけど、TNCの番組モニターをさせてもらったおかげで、貴重な経験をさせてもらった。本当は、私
が、マイクに向かってしゃべっているところをデジカメに撮ってもらおうと思ったのだが、みなさん忙し
そうで、言い出せなかった。永谷アナとの2ショット写真も撮れなかった。私ってずーずーしいようで
案外と気が小さいのだわん。で、今回の証拠写真はテレビ放送されたものをデジカメで撮って、貼り
付けようと思います。
          「109TV(トークテレビ)」放送風景
                                         
     (2002. 9.27 記)

 昨年3月から始まった「TNCテレビ番組モニター」もあっという間に1年が終わってしまった。モニタ
ーをやっている間は、結構忙しかったが、終わってしまうとなんか寂しい気もする。1年間で約50の番
組のモニターをやったが、4つほど私の失敗で、モニターできなかった番組もあった。モニターとしては
これは失格。TNCさんにも迷惑をかけてしまった。

 そんな私の失敗にもかかわらず、今日、TNCテレビ西日本から思わぬプレゼントが送られてきた。
1年間のモニターに対する気持ちとして、あの真珠で有名な「MIKIMOTO」の置き時計が粗品として
送られてきたのだ。「粗品」だなんてとんでもないような、すてきなオブジェだ。大切に使おうと思う。
また機会があったら、何かの形でTNCさんと関わりたいと思った。

                    「MIKIMOTO」の置き時計
                      「MIKIMOTO」の置き時計
                     (縦横8センチほどの小さなものですが)
                                                   (2003. 4. 3 記)