ようやく、遊び解禁になりました

 今年高校受験の娘・麻子。我が家は、母と私と崇弘が明善高校の卒業
あるいは、在学で、家の中で高校といえば明善高校のことなのである。当
然のごとく、麻子も志望校は明善と早くから決めていた。しかも、絶対推薦
で受験する、と言っていた。

 そのため、ではないが、小学校の6年生から塾に通い、高い月謝を払い
何とか明善に合格するよう努力してきた。特に中三になってからは、成績
だけでなく、生活態度や身なり、勉強以外の学校行事への意欲など、そ
れなりに頑張っていた。それでも通知票の成績では推薦は厳しそうな具
合だった。

 だが、それくらいのことでへこたれる麻子ではない。自分でこうと決めた
ら、絶対に目標を達成するのが彼女のいいところである。何とか、通知票
の成績が推薦ラインに乗ったことを確認して、先生に「明善高校への推薦
をお願いします」と言った。結果はオーライだった。まず第一関門突破だ。

 今度は、推薦の時の作文と面接の練習を、先生からもらってきた想定
問答集で何度も練習し、作文もどんなふうな問題が出ても、うまくまとめら
れるようにシュミレーションした。

 これだけやって、落ちたらショックだろうな、と思いつつ、いよいよ受験当
日。受験生験担ぎグッズの「KitKat」を食べ、集中力がつくように「ヴァー
ム」を飲み、タコの置物をしっかりと持って出かけていった。出がけに「これ
が最後だからねー」と私が言うと、「うん、わかった」と答えて笑った。

 昼頃に帰宅した麻子は「まずまずできたよ」と言う。できなかったのなら
落ちたときの理由になるが、まずまずできて落ちたら、立ち直るのに時間
がかかるだろーなー、と内心思った。

 そして、18日(火)。運命の発表の日。「結果は良くても悪くても必ず連絡
するのよ」と言って、送り出したが、落ちていたら絶対連絡しないだろうな、
と思った。朝から、一度も外出せず、電話を待った。何度か違う電話もか
かってきた。夫からも「まだ連絡はないとかー」と苛立ちの電話が・・・

 そして、待つこと数時間。お昼過ぎに麻子から電話。「受かっとったよー」
と、うれしそうな声。私もあわてて「よかったね。頑張ったねー」と言った。
それから、母や崇弘、親戚知人などにメールを打ちまくり。おめでとうメー
ルもたくさんいただいた。

 この日のために、けっこういろんなことを我慢して、家族みんなストイック
な状態になっていたが、この日ばかりは、お祝いのお弁当を「紙音」にた
のんで、家でささやかなお祝いをした。

 さあ、これで、私も遊び解禁だー。コンサートにミュージカルに買い物に、
とあれやこれや、いっぱいやりたかったことをやるときがきた。「えっ、来年
は崇弘の大学受験ですよ」って。そんなの知らん。というわけで、下の写
真は、当日のお祝いの宴で食べた「紙音」のお弁当です。
      
                お弁当の上にマウスを持ってくると・・・

          

                                   (2003. 2.18 記)

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