さようなら、女性消防団

私もいろんなことをやっているが、校区の消防団の団員を1994年の4月から
やっている。この3月で丸8年になる。久留米市の消防団が各小学校区に持
っている27の分団にそれぞれ3名づつ、女性消防団員の募集を始めたのが、
1993年だった。当初はすんなり集まるだろうと楽観していた関係者だったが、
男性社会でしかもボランティアの消防団へ進んで入団する人はなく、結局、
当時の分団長さんと、地域の区長さんが、家庭環境などを考慮して、連れ立
って我が家へお願いに来られたのである。

我が家も年寄りや小さい子供(当時、下の娘が小1)もなく、実母と同居という
恵まれた(と、思われたのか)家庭環境ゆえに、断ることもできず、母も夫も
「地域のためにひとつぐらいは何かしなければならないだろう」ということで、
分団長さんの申し入れを受けたのだった。

ただ、消防団といっても、女性だから、男性のように火事だからと夜中に消火
活動に駆けつけなければならないことはなかったが、それでも年に三回の夜
警、新年早々の出初式、夏に開催される「ポンプ操法」の練習のための食事
の用意、車庫前点検のための消防車車庫の大掃除、出初式祝賀会の案内状
や礼状の宛名書きなど、思っていたよりはるかに、やることは多かった。

もちろん、大変なことばかりでなく、楽しいこともあった。入団2年目の秋、「女性
消防団員活性化全国大会」が宮崎で開催された時は、泊りがけでシーガイア
に出かけた。今となっては、楽しい思い出である。

福岡市で「全国大会」があった時も、久留米市の女性団員全員で出かけた。
会場は旧県庁である「アクロス福岡」。ちょうど、博多山笠の時期に合わせて
開催されたので、福岡県に住んでいながら、今まで一度も見たことのなかった
本物の「山笠」を見ることができた。ホテル「ニューオータニ」でのレセプションも
豪華だった。こんなことは消防団に入団していたから経験できたことで、とても
いい経験をさせてもらったと思う。

ただ、入団当時に比べて私の生活環境が変わってきた。まず、消防団以外に
もボランティアで「カルキャッチくるめ」のコーディネーターや、西日本新聞の
「ぼしぇっと」のライター、そしてパソコンのインストラクターなどを始めた。それら
に共通していることは、夜、パソコンに向かって原稿を書いたり、作業をするこ
とが圧倒的に多いのである。そして、消防団もみんな仕事をもっている人たち
の集まりなので、いきおい、夜出かけることが多くなる。

結局、消防団を続けていくことが私のライフワークに支障をきたすようになって
きたのである。それで、昨年分団長に「もう7年間やってきたし、そろそろ退団
させてほしい」と申し出た。しかし、すぐには無理のようである。後任が見つかる
まで何とか頑張って欲しいと言われて、私もそれまで、できるだけのことはやろ
うと思った。

しかし、もうそろそろ限界に近づいている。なるべく早い時期に「さようなら、女
性消防団」となりたいものだ。
                                      (2002. 3. 7 記)

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